蜂須賀侯爵

これは1982年(昭和57年)頃に先達から聞いた話です。話の中身はかなり古い時代のことですが、いまでも意外なくらい聞いたときの匂いとか、周りの風景などを覚えています。このときに聞いた話を思いだしながら以下にまとめてまいります。

 

私がS野先生に初めて会ったのは、県西部の事務所に勤務していたときでした。S野先生は70歳を少し過ぎたくらいの年齢で、われわれの職場のOB職員であり、獣医師として退職後も嘱託という立場でお手伝いいただいていました。

嘱託業務についてはローテーションの配置表を私が作成し、前月の月末までに届くよう郵送していました。時折には自宅まで出向き、日ごろの業務のお礼も兼ね言葉を交わすこともあり、そのような機会に聞いた話だったと思います。

 

先生のお宅は近隣でもかなり大きな農家で、昔から養蚕(ようざん)をしていたようです。その当時もまだ蚕を飼っていたのかもしれません。玄関三和土(たたき)に上がると蚕棚の道具が壁にぶら下がっていて、それと桑や蚕の匂いが暗くひんやりとした部屋の奥からかすかに流れてきた。そんな記憶があります。

あまり饒舌とは言えないS野先生との話は、自宅に先生を訪ねたときにお茶を勧められつつ聞いた昔話でした。それは先生にとっても忘れられない学生時代の思い出話だったと思われます。

 

年齢70歳くらい(推定)とおぼしきS野先生が獣医師資格を取得したのは東京の専門学校(当時)と聞いていました。これがいつごろのことか計算してみると、西暦で1930年、つまり昭和5年前後のこととなります。当時の学制がいかなるものか不明ですが、18歳前後で上京したものと思われます。

学校の所在地は今の東京都港区南麻布二丁目。地図で俯瞰すると、いまの慶応大学三田校舎の西600㍍ほどの場所のようです。学校は戦後の1947年に移転していて大学となっています。その大学のホームページのなかの「大学の歴史」によれば、戦災により被災する1945年(昭和20年)まではこの地にあったことは間違いないようです。

S野先生から聞いたのは東京で過ごした正月の話でした。

「昔は正月だからと気軽に帰省することはできんでねぇ・・・」とS野先生。でな、と続けて

「正月に東京にいて何もすることがない。日頃は商売しているところもみな休みにしている。正月の東京はほんまに静かや」

「私が学生時分でも、正月三が日に開いてる店なんてありませんでしたよ。」昭和初期の東京なんて、どんな景色なのか想像がつきません。

「そうそう。それでな、その正月に招待してくれるところがあってな」と遠い目線になり、昔のことを思い出すようにしゃべり始めました。

「それはお知り合いが東京におったんですか?」と返事を促しました。

「いや、東京に知り合いなんかおらんし、親戚もおらんわ」顔の前で手を左右に振る仕草。

「知り合いちゃーうんよ。ハチスカさんや」 

「エッ !?」 どちらのひとでしたっけ?どっかで聞いたことある名前やけど・・・

「先生、それってあれですか」

はなしがうまくまとまりません。

「そうや。あの蜂須賀さんや」両手を膝の上に置いてウンウンと頭を上下させて頷く。

 

「あの~、先生。蜂須賀さんに招待されるいうて、それって、お屋敷に行くんでしょうか?」

「そうや、お屋敷に呼ばれてな、年賀の挨拶をするんや。するとお殿さんが縁側に出てきてな、庭でおるわしらに声をかけてくださる。今年が皆にとって佳き年であるようにってな」

蜂須賀氏は侯爵ですが、呼び方はやはり「お殿様」のようです。

「正月に皇居でやってるアレですか、一般参賀みたいなモンですか」国民が皇居に集まって記帳し、日の丸の小籏を振る。

「あれは戦後から始まった。ただ、あんな感じかなぁ。それと紅白の餅をくれてな、それが嬉しいてょ、有り難かったんょ」

そのとき食べた餅の味を思い出したのか、先生の顔がほころんでいるように思えます。

 

蜂須賀家はかつて阿波徳島藩26万石の旧領主でした。のちに侯爵を叙爵しています。そして、公爵と侯爵は貴族院の終身議員(華族議員)に叙せられますから、当時は貴族院議員だったはずです。

領主としては1869年(明治2年)の版籍奉還と1871年(明治4年)の廃藩置県により徳島との縁は事実上無くなっているわけです。

それから60年を経てそれでも、在京の徳島県民、学生などの慰労をおこなう思いやりが元領主たるものの矜持なんだとすると、ちょっとうれしくなります。江戸期260年は領主と領民にとって決して短い時間ではないのです。

 

さて、旧の領主だったとしても、在京の徳島県民を招待するのは蜂須賀氏個人としての行為であり、招待者リストの作成と選別などはどのように行われたのか興味をそそられます。

なお、大正から昭和期の第18代当主蜂須賀正氏は昭和20年7月に爵位を返上。その後、蜂須賀家は没落しました。

蜂須賀家の屋敷は港区三田二丁目にありましたが、後年買い取られ、現在は在日オーストラリア大使館となっています。

  

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